支援

田畑裕哉 on 2011/05/27

お久しぶりです。
いろいろなお仕事や演奏のお話をいただいたり、本業が忙しかったりで、
なかなか更新できませんでした。
すみません。

その間、東日本では大きな災害が起こりました。
被災された方々に、お見舞い申し上げます。

全国、世界に支援の輪が広がって、
そりゃもうたくさんのあたたかい善意が、被災地に届けられていることでしょう。

そこでふと、
この支援は、いつまで続くのだろう…と考えることがあります。
批判を恐れずに言えば、
一部の、売名のための偽善行為合戦は、いつまで続くのだろう、ということです。

ある企業が支援を表明すると、ライバル企業も支援を表明する。
百貨店は被災地とは全く関係ない店舗に、高らかに
「被災された方々へ、心より…」という幟を掲げる。
「オムツが足りない」と新聞記事になれば、オムツがどっさり届く。
学校では文具が足りないだろうと、ありったけの文具を無償提供しようとする。

が、
学校が始まらなければ文具は要らない。
始まった学校でも、本が送られても新たに収容できる状態ではないし、
どっさり送られたあらゆる物を、だれがどう分配し、どこに置くのか。

石巻でボランティアの女性が刺されました。

何となく「良さげ」に思える浅はかな支援行為が、
実は被災地での不要な作業を増やしている、かもしれない。
もちろん、スムーズに役立つものが役立つように分配されていたり、
ボランティアの活動が役に立っているところもあるでしょう。

ただし、この、
一連の支援ブームが去った後、被災地から必要な物が無くなる時が来る。
無駄な支援物資ばかり余り、必要な物資の支援が減っていくときが必ず来る。
工事が始まり、ボランティアじゃなく、仕事として人が必要なときに人手不足。

物や金をただただ送るのは、一過性のパフォーマンスに過ぎず、支援ではなく、
もっと何か月か、何年か先まで見据えた、継続的な支援が必要なのだと思います。
だからと言って、何をどうすればよいのか、具体的に言えないのが悔しいところですが、
少なくとも、物や金を一回送って終わりではいけないことは、はっきりしています。

16年前、
神戸市長田区のまちは焼け野原で水を飲むことさえできない中、
東灘区の東の端の避難所では、支援の食料が山のように余っていたと聞きます。
きっと、「神戸」に届ける一心で、届けに来てくれた方々が、
「神戸」に入った瞬間に安心して積荷を降ろしていったのでしょう。

支援する側として、もっと、深く考えたいと思います。


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