仕組みとして誤報を防げ

田畑裕哉 on 2012/10/13

私がそれらしい論文を並べて、
「iPS細胞の臨床手術に成功しました!」と叫んで、
新聞記者を東大病院の会議室に読んだら、
記事にしてくれるでしょうか。

今日、10月13日付の讀賣朝刊で検証記事を読みました。

ひどく、取材の詰めの甘さを反省しています。
記者からの情報について、
担当次長や部長は、役職上の「確認」係で、
チェック機能は諦めたほうがよいのかもしれませんが、
編成センターの校閲者は何をしていたのでしょうか。

すっぱ抜いたり、
他社を出し抜いたりすることが記者の至上目的になっているから、
真実を見抜く力が弱っていて、
今回の問題がどこにあったのかさえ見ようとしていない。
「怪しいのでは?」という嗅覚が鈍っている記者や、
科学部の取材方法には確かに落ち度があるけれども、
記事が間違っているかもしれないという前提で見るべき
校閲者が機能していなかったことについてはどう捉えているのでしょう。
記者側にいる人は、ビッグニュースに狂喜乱舞するのは当たり前なので、
問題は、
それを冷静に見直す役割の人を確保する体制に
できていたのかどうかです。
記者側から出てきた記事がある種、神聖なもので、
校閲者(校正者でしかない)に対して
「お前らは字句の間違いだけチェックしとけ」というような
組織的な力関係があったのであれば、それは問題外ですが。

取材の詰めの甘さがあることを見越して、
プロセスによって高品質を確保せよ、と思います。
記者の能力や、取材でどのくらい突き詰めるかという程度は、
人の数ほどあるわけで、
それを「仕組み」で担保してやらなければ、
誤報は無くなりません。

今回の「誤報の検証」が誤報でなければよいのですが。


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